「唯物論と唯心論を調べてまとめた上で、VRは唯◯論か述べよ」
@pasonatech 「唯物論と唯神論を調べてまとめた上で、VRは唯◯論か述べよ」大喜利かな。
— TラオカP (@fujigoco2255) 2016年9月15日
忙しくてなかなか課題に取り掛かれずにいた中で、部下よりも先に同期の方が熱く持論を展開し始めたこの課題について考えてみようと思います。
今回の目標は何が言いたいのかわからなくならないこと。
がんばるぞい。
「唯心論」
唯神論?汎神論?
唯神論と言うものに関して正確に記述がなくて冒頭から詰んだな〜なんて思ってたら唯心論の変換ミスだったそうです。
精神こそが万物の根源であり、物質は人間の心によって認識されるが、
絶対確実とは証明できない曖昧なものと捉える。
物事の認識とは精神が先にするものである的な感じで捉えればいいのかなと、漠然と。
「唯物論」
精神と物質の発生について物質を先とするものが唯物論である。
ということらしく、唯物論はなんとなくわかりやすいな〜なるほどなるほど、と勝手に納得しました。物事の認識は、そのものがあって初めて認識をするという感じですかね。多分。
調べていた中でこの知恵袋のBAが腑に落ちる解説をしていたので参考にさせていただきました。
で、それを踏まえて今回のお題が「VRは唯◯論か述べよ」 ということで、ゴールは、仮想現実の映像をHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を通して人間に本物だと思い込ませるその技術が精神からなのか物からなのか考えてねってことでいいんですよね、それを見失わないようにしないとまた迷子になりそう。
今普及しはじめているVR自体は視覚と聴覚の拡張の部分が主で、ただ、一つ前の記事で結局ごちゃごちゃになってしまった五感のことを踏まえると、本来のVRは、その技術を使って五感を拡張することで、現実世界を拡張して体感したり、それこそありえない世界に没入することができるというところがVRの重要なポイントだと思います。
<唯心論である、という仮説を立てる>
拡張現実を現実だと錯覚するという点に関して精神的なところから錯覚すると仮定する。
という考えを持ってVRを考えると、逆に言えばこれは現実じゃないとさえ思っていれば没入することはないということなんですかね。
以前上司が、いくら視覚と聴覚だけ拡張現実の中にあっても、歩いていないのに歩いている映像を見せられたらいくら映像がすごくても没入感は生まれない、とおっしゃっていました。人間の視覚や聴覚以外の互換なども騙し、現実の体の動きと体験している拡張現実の矛盾を取り除かないと完全な没入感は得られないという話でした。
そのときに上司が例として出してくれたのが乗馬体験でした、参考までに。
つまり矛盾を取り除くことで体験する人は騙され、それを現実だと思い込む。
先程「これは現実ではないとさえ思っていれば没入することはない」と言いましたが、そう思わせないことこそがVRに求められる技術であって、VRを用いた作品の演出なのかなと言った感じでしょうか。
<唯物論である、という仮説を立てる>
唯心論だとしたときに、仮想現実と現実との矛盾を取り除く必要があると考えました。
唯物論では「物体が先にありき」という考え方が前提だとして、現実という物体がそこにありきで今の現実を生きているということになるんですかね?
う〜ん、厨二病発症していたような学生生活を送りすぎたせいで痛い発言しちゃいそうで哲学的な題材は苦手です…
でも実は個人的には唯物論側の意見を持ってこの題材を考えていたので、
結局矛盾を取り除くために必要な機材であったり、HMDがないと拡張現実って見れないよね?
この先技術が発達してきて、現実世界に直接VRやARの映像が可視化されるような世の中が来たとして、それはもう人々が仮想か現実か見分けがつかなくなってしまった世界が来たとして、でもそれを可視化するためには何かしらの機材が必要だよね?
仮想現実を見るためには何かしらのデバイスであったりを通さないと体験できない、ということを考えると、私は
「VRは唯物論である」
と、結論を出したいです。
ふう、無理矢理感は漂うけど、結論まで持っていけたんじゃなかろうか…
でも難しいですね、絶対に唯物論であるという自信はないです、でもどちらなのかと問われたら唯物論だと言いたいなと思いました。
上司は「正解とか正論を書いてほしいわけではなくて、ただ楽しいことでも思考しないと分解ができないのでまずは調べたり思考したりしてほしい。じゃないと人と議論ができなくなるし、ただの論破争いになってしまうからね。」といっていました。
何かを述べるときにまずは思考する、正解ではなく自分の考えを述べるのってできているようでできていないし難しいな〜と思いました(大の字)
ここまで書き上げるのに一時間半、前回二時間半だからやっぱりゴール決めて書くのは大事かもしれない、とひとつ学びを得た部下でした。
おわり