部下「上司様、CEATECに行きたいです」
上司「何故行きたいのかを明確にして、CEATECの歴史と今年のCEATECについて調べてまとめたらいいよ」
部下「!!!」
上司「帰ってきたらもちろん記事にまとめてね」
部下「(´・ω・`)」
今年のCEATECに行きたい理由
”今年の”CEATECに行きたいんです、なぜなら今年は最先端技術やIoT技術にフォーカスを当てた見本市になってるらしいからです。
以前IoTにちなんだキャラクターを描く機会があって、IoTという実態としては曖昧なものをイラスト化することに非常に苦戦しまして、最先端の技術だけでなく、IoTそのものについてもっと実態を掴みつつ理解したいと思ったからです。
(この一番左側の…もうとりあえずウェアラブルデバイスでいいんじゃないの的な…浅はか也)
上司を見てて思うのは、情報感度の高さ。
私には圧倒的に欠落している部分で、惰性で生きているあまり情報感度が鈍いんです。
やはりテクノロジーなどに接する業界で生きているので、もっと情報感度を磨いていきたいのでそのきっかけにしたいなとも思ってます。
なぜ今年のCEATECが家電見本市ではなくなったのか
”家電見本市”ではなくなる、と言うのは正式に発表されているものです。
こうなってくると調べてまとめる必要があるのか…という感じですよね。
>>読めばわかる<<
とか言うと上司に怒られてしまうので、噛み砕いて理解してみます。
これだけわかりやすくまとめられているのに噛み砕いちゃったら、原型なくなって訳が分からなくなっちゃいそうなんですけど…
CEATECは元々、「テクノロジーで社会や人を豊かにする」ということを見せるためのイベントであり、今までの時代の流れだと「テクノロジー+社会や人を豊かにする」ことが「家電の充実」だったのではないでしょうか。
家電の機能であったり家電自体の価格が購入しやすくなり、生活に家電が充実すること自体が人々の生活の充実に直結していたことを考えれば、“最先端IT・エレクトロニクス総合展示会”のCEATECが”家電見本市”になるのにも当然の流れが合ったのではと納得できます。
その流れを理解した上で、なぜ今年のCEATECが“CPS/IoT Exhibition”になったのか。
それは時代の変化によって人々の生活を豊かにすることが、必ずしも家電依存ではなくなったからということなのではないでしょうか。
「最新のテクノロジを取り入れた製品」が社会や人を豊かにするのではなく、「最新のテクノロジでどう人々が豊かになっていくのか」
昨日、会社の勉強会で株式会社アサイエンジニアリングの浅井社長が勉強会をしてくださいました。
その記事はまた別でまとめるので詳しくは書きませんが、そこで浅井社長が
「ロボットを作る技術というのは確立してしまっている、あとはその確立した技術の中で何をさせるかしかない。しかしそこにIoTやAIの技術が加わることで中身の部分で更なる可能性を追求することができる」とおっしゃっていました。
家電にも同じことが言えるのかなと思っていて、家電を作る技術というのは確立してしまっている中で、これからは技術を使ってどう豊かにしていくか、から製品を開発するような形こそが世の中に求められているのだと思います。
なのでCEATECに行ったら私は、物そのものを見るだけでなく、その製品であったり技術というものが持つ可能性であったり、これからそれらがどう生活に浸透していく可能性があるのかなどにも注目しつつ見に行きたいです。
結論をまとめるのが非常に苦手です。
と、いうことで
「上司様、CEATECに行きたいです」
おわり